大名、毛利の永遠の里・萩(萩には、明るい未来がある)

ペンネーム:毛利太郎(自動音声でお楽しみください)

身体を、鍛えることは、大事だと、思う!!心の病も、吹っ飛ぶぞ!!加えて、自慰行為で・・・!!過去の、作品。第9話。毛利太郎、39才の、作品です。

作品名:大名、毛利の永遠の里・萩

 

 

 

 

 

職業:コンピューター作家(自由業)

 

 

 

 

 

制作・著作:毛利太郎

 

 

 

 

 

おれ、毛利太郎!!

 

萩生まれ、萩育ち!!

 

勉強大好き、スポーツ大嫌い!!

 

おれの、母校は、萩明倫館!!

 

おれの、刀は、Googleの、スマートフォン!!

 

おれの、母は、長門市黄波戸生まれ!!

 

 

 

 

 

さて〜〜〜〜〜〜!!

 

今日は・・・?!

 

おれ、毛利太郎の、過去の、原本の、第9話目である!!

 

この、作品は、恐らくは、おれが、39才ごろの、作品である・・・!!

 

作品中の、心の病は、今では、もう、ほとんど、治っていますよ!!

 

それは、身体を、鍛えて、自慰行為をして、それで、おれは、治しましたが・・・!!

 

毎日の、鋼鉄の、バネを、折り曲げて、加えて、自慰行為を・・・!!

 

ただし、そこには、思想及び、良心の自由が、生きてないと・・・!!

 

では、以下、原本より・・・!!

 

始まり!!

 

 

 

 

統合失調症について

 

俺の病気は、統合失調症なんだ。

 

心の病。

 

そんなやつが、こんなことを考えてるんだよ。

 

コンピューターシステム社会でさ、欠かせないものが、信号(シグナル)なんだよ、と思ってる。

 

話はそこから。

 

これは、俺の、病状でもあるからだ。

 

信号は、つながって、変化するものならば、なんでも信号になる。

 

加えて、電波さ。

 

目に見えないけどさ、つながってると信じてるでしょ、みんな。

 

電波により、つながりは、一気に拡大するんだ。

 

そして、信号は、ありとあらゆるものが、考えられる。

 

つまりは、電波さ。

 

俺の、正気と、狂気は共存することになる。

 

こんな、世界の見方ができる、分裂病患者が、どれだけいるか。

 

そこまで、思考力がなければ、おそらく、分裂病で、一生病院生活か。

 

狂気を、行動で表せば、俗に、分裂病者の、事件になる。

 

俺の場合は、書いていることが、行動することだ。

 

これが、自分を、救っていることか。

 

ここで、スポーツを、口にする人がいるだろう。

 

一時的な、気休めだ。

 

スポーツに、一言いいたい。

 

人にとって考えることの意味は、どんなことか。

 

何のために、人の、脳は、発達しているのかということだ。

 

俺は、ノートに書いている。

 

それは、全く価値がない、無意味なことなのか。

 

こうして、スポーツ漬けの奴らに、言える。

 

彼らは、考えない人だということ。

 

判断はしているだろう。

 

一瞬の、時間の中での判断力。

 

ほんの、瞬間のことに、動くように、訓練された人。

 

プログラミングされてるだけじゃないか。

 

しかし、多数派は、スポーツにより、プログラミングされることを、望んでいる。自分から、進んで、そうされたいらしい。

 

それが、多数派だ。その動きは、拡大中だ。

 

そんな批判したところで、分裂病は、治らないが、スポーツが、非人間的なことならば、どっちがいいかは、個人の幸福の問題だ。

 

俺は、文章を書くことが、幸福なんだ。

 

人の幸福を奪う権利が、誰にあるんだ。

 

入院しないで、分裂病と付き合って、表現することで生きるということ。

 

なかなか、大変なんだぜ。

 

普通のやつらは、すぐ、金のことを言う。

 

ここに、法の、福祉という概念が、何のためにあるのか。

 

障害者が、生きることで、金がなければ、年金制度は、何のためにあるのか。

 

年金制度、税制の優遇制度などは、社会的に、恵まれない人、それを、弱者と呼ぶなら、それがこの国の、法の、精神だろう。

 

法治国家だろ。この国は。

 

俺の、文章は、確かにプロの書き方ではない。

 

しかし、語彙や、語順、言葉のそれぞれのつながりは、ちゃんとしているならば、わからなくもないだろう。

 

一応、何かしら、表現したい心がある。

 

そして、狂っていないから、書けるのだ。

 

障害者を、弱者と、呼ぶのは、今の社会では偏見を生む。

 

さっきも書いたように、スポーツという、非人間的な、プログラミングされたやつが、増えている、現代を考えれば、恵まれなかった人ということにしよう。

 

恵まれない人は、莫大な、数にのぼる。

 

スポーツマンが、そうだからである。

 

スポーツプログラミングされたやつらが、かってに好きな競争社会を、やってりゃいいんだよ。

 

それが、つまりは、金の、多い、少ないに、にかかわることなんだからさ。

 

そこで、弱者という言葉を、使えば、俺たちは強いんだ。

 

というのは、スポーツで、鍛えたからだ、という論理。

 

彼らはさ、さっきも書いたけれど、プログラムされているだけなのにさ。

 

方法を、間違えればたちまちに、狂い出しちゃうというのは、プログラミング社会が、教えているだろうにさ。

 

それに、気付いていない。だから不幸なんだ。

 

でさ、分裂病にでもなれば、俺のようなことは出来るのか。

 

最初にふれた、信号について、ふと思うこと。

 

高度に、信号が、発達した社会では、信号を見分けることが出来るか、そして、信号にあわせて動けるかが、求められてる。

 

これも、スポーツ的だ。

 

信号に、疑いを持つと、生きにくい、生きられないということだ。

 

現代社会の、正気と狂気の、ボーダーがそこにある。

 

だから、いつ、人が狂いだすかは、解からない。

 

誰が狂ってもおかしくはない社会だ。

 

変に、知識があると、狂う。

 

白痴人間が、非常に多いということだ。

 

だから、やっていけるのが、現代社会だ。

 

俺は、そう思う。

 

 

 

 

原本、終了!!

 

 

 

 

おれ、毛利太郎!!

 

萩生まれ、萩育ち!!

 

勉強大好き、スポーツ大嫌い!!

 

 

 

 

 

制作・著作:毛利太郎

 

 

 

関東学院大学文学部英米文学科卒業:文学士

萩高等学校普通科理科系:萩第一中学校

萩市立明倫小学校

 

 

 

つづく。